2011年02月06日

今日、明日で友人と写真展をやります。

chainfocusのコピー.jpg

chainfocusのコピー.jpg

今日、明日原宿で友人とふたりで写真展をやります。

暇な人はぜひ、来て下さい!

ChainFocusという写真の連想ゲームみたいな写真展で
こじんまりしたものですが、そこそこしっかりした写真を展示します。

原宿のDesign Festa Gallery WEST 2-Cという場所。

こんなブログでやっているプロジェクトですが
ぜひぜひみなさんに見に来てほしいので、
なにとぞよろしくお願いします。

http://chainfocus.wordpress.com/

地図は以下のとおりです。


大きな地図で見る
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2011年01月14日

【雑記】私の体験的国際協力論「ジレンマと、名前と、ありがとう。」

大学のレポートで書いた、私の体験的国際協力論。

せっかく国際問題に関する学生団体の創設者と代表をしているのだから、これくらい書かなくちゃと思って書きました。あんまり参考になるようなものではないし、かなりめちゃくちゃな理論かもしれないけども、僕の体験的にはこういうことです。

ちょっと長いけど、ぜひ読んでみてください。

続きを読む
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2011年01月03日

あけましておめでとうございます。

クリスマスが終わって、さらに無事ぼくたちは新年を迎えました。明けましておめでとうございます。


*

さて。

世界中で新年のリレーが行われていたさなか、ぼくたちはお祭り気分でテレビを見たり、おみくじを引いたり、お節を食べたりしていました。

新しい1年のはじまりを平和に迎えられて、みんな笑顔になりながら、街中が除夜の鐘に包まれる元旦。ぼくは大好きです。

でも世界中の人たちみんなが本当にそうやって平和に、新年を迎えられたかと言うとそんなことはないですよね。戦乱のさなかに新年を迎えた人も、飢餓に苦しみながら新年を迎えた人も、もしかしたら新年を迎える少し前に何らかの理由で命を絶たれた人もいるはずです。

ぼくたちは常にそういうことを心のどこかで意識なくちゃいけないんだなあ、なんて思いながら、ぼくは新年を迎えました。

*

かのジョン・レノンも同じようなことを言っていました。世界中に常に苦しんでいる人たちがいることを、「平和」が世界中において「普通」ではないことを、しっかりと意識して考えていくべきなんだよ、と。そしてそうすれば、世界はきっと平和になるはずだ、と。

そんなジョン・レノンの想いが込められている名曲があります。クリスマス・シーズンには毎年街中で流れている、誰でも聞いたことがあるような名曲。

「Happy Xmas (War is over)」です。

ジョン・レノンは妻のオノ・ヨーコと一緒にこの曲を書いたとき、「永遠のクリスマス・ソングをつくろう」と思ったといいます。

永遠のクリスマス・ソングをつくって、そのなかに「世界のことを考えてもらうような」要素を入れればいい。そうすれば、その意思は永遠に受け継げられて、いつかは世界中の人達が考える世の中になるだろう。

そんな考えのもとに書かれた曲が、このHappy X masなんです。

Happy Xmasの歌詞をよく読んでみれば、ジョンとヨーコのメッセージはしっかりと伝わってきます。ちょっぴり長いけれども、ここに全文掲載するので、動画と一緒に読みながら聞いてみてください。

*



そう、今日はクリスマス
そして何を君はした?
一年が終わり
そして新しい年が今、始まった
そして今日はクリスマス
楽しんでるといいな
身近にいる人も敬愛する人も
老いた人も若い人も皆
心からメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニュー・イヤー
願おうよ 良い年である事を
不安なんてない年をさ
そして今日はクリスマス  (War is over)
弱い人も強い人も  (If you want it)
金持ちも貧しき人も  (War is over)
世界はとても間違ってる  (Now)
そして今日はクリスマス  (War is over)
黒い人も白い人も  (If you want it)
黄色い人も赤い人も  (War is over)
やめようよ あらゆる争いを  (Now)
心からメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニュー・イヤー
願おうよ 良い年である事を
不安なんてない年をさ
そう、今日はクリスマス  (War is over)
そして何を僕らはした?  (If you want it)
一年が終わり  (War is over)
そして新しい年が今、始まった  (Now)
そしてハッピー・クリスマス  (War is over)
楽しんでるといいな  (If you want it)
身近な人も敬愛する人も  (War is over)
老いた人も若い人も皆  (Now)
心からメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニュー・イヤー
願おうよ 良い年である事を
不安なんてない年をさ
戦争は終わるさ
みんなが望むと
戦争は終わるさ
もう
(Happy Xmas!)

*

動画の最後に「an eye for an eye will make us all blind」というガンディーの言葉が引用されています。これは、「目には目を、では世界中の人はいつか盲目になってしまう」という意味。報復や恨みの繰り返しじゃ、いつか世界はダメになってしまうんだよという意味。

ジョンはこの言葉を動画の最後に引用することで、世界中の人達がより「考えて、行動する」ことを祈っているのではないでしょうか。

*

世界中の人達がみんな平等に、そして平和にクリスマスと新年を迎えることができるように。そしてそういう世界のことを、ぼくたちがしっかり考えていくように。

この素敵なクリスマス・ソングに込められた意思をしっかりと受け止めて、この2011年を過ごしていけば、もしかしたら世界は少しだけ変わるかもしれません。

夢ものがたりかもしれないけれども、本当に、本気で。

ハッピー・ニューイヤー。

(学生団体S.A.L.ブログに執筆 http://salsal.info )
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2010年11月13日

【いまさらながら】引退しました

(mixi転載)




S.A.L.代表引退しました(やめたわけじゃないです)。


森島が団体作らね?って誘ってくれてからもう2年半。

横浜のポパイ(満喫)の地下にあるペアシートでゲイカップルみたいにくっついて団体の案を練っていた時代がくそ懐かしいです。

最初の会議しようぜって時に7人くらいでぎこちない自己紹介をしあっていたのがくそ懐かしいです。

団体名の候補には「マーズ(ギリシャ神話の神)」だとか「平和(ピンフ,麻雀の役)」だとかくそ厨二病な名前がたくさんあったんですけど、なんと5分で考えた「S.A.L.」に落ち着いてくれて本当によかったと思います。

ちなみに懺悔させていただきますが
「Send out → 伝える」 って意味は半ば無理やりですごめんなさい。

あとよく聞いてくる人いるけど「サル」じゃないです。「エスエーエル」です。
もっと細かく言えば「サル」って言うときは「サル↓」じゃなくて「サル↑」です。


*

まあ大学生活を振り返るほどでもないけど、思えばほんと大学生活のモチベーションと体力と時間のほとんどをS.A.L.に捧げてきました。

まったく後悔してません。むしろ大正解だった。よかった。

これで明日死んでも後悔せず死ねます。じゃあ死ねとか言わないでね。


*

事実上の引退イベントになったこの前のイベント「LAUGH&PEACE」ではのべ474人の人が来てくれて、のべ32万円ちょいをNPO Table for twoに寄付することができました。

寄付額はアフリカで、1万6000食分の給食になります。すごいっしょ。

マイミクで来てくれた人はほんとうありがとう。

そして頑張って準備に奔走してくれたメンバーはお疲れ様。

S.A.L.タイムは本気で泣きました。

*

S.A.L.のいままでのイベントに来てくれた人たち。

いままでのSALの活動を支えてくれた人たち。

そして一緒に頑張ってきてくれて、頼りない俺を支えてくれた3年生。

はじめての後輩で、そして、最高の後輩、2年生。

これからのSALを盛り上げてくれるだろう、期待して止まない1年生。

そして、森島。

みんな、ほんと、ありがとうございました。

みんなのおかげでこんなただの病弱変態ハゲメガネちんこ野郎が80人団体の代表やって、好き勝手に活動してこれたんだと思います。ほんと、感謝しても感謝しきれません。ありがとう。


あ、あと俺の言動で嫌な気持ちになったことが一度でもある人(80人くらい)は本当すいませんでした。逐一落ち込んでたんで許してください。

*


あ、

2月にS.A.L.でインド、チベット、カンボジア、日本の子供たちの写真展、やります。

みんな来てね。俺と、Focus on myselfプロジェクトのメンバーたちの大学生活の集大成。

まあ集大成と言っても、まだまだ終わらないけど。

俺はこのプロジェクト、ライフワークにしていきます。


ほんとね、まだまだやりたいことだらけです。
大学生活の残り、S.A.L.でも、外でも、全力で楽しみまくります。


とりあえずスノボーに行きたい。



これからこんな俺と、これからも走り続けるS.A.L.、どちらも何卒よろしくお願いします。


かしこ。


*

【以下告知】

三田祭で

慶應塾生新聞会主催イベント 「これでいいのか大学生!?」
11月21日(日) 12:30〜14:00 三田キャンパス 519教室
第一部 北城恪太郎氏 講演 (日本アイ・ビー・エム株式会社最高顧問)
第二部 パネルディスカッション「北城恪太郎氏×学生」

に出演するからみんな来てね。
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2010年10月26日

【コラム】いただきます、ということば。

今日は食にまつわる話をひとつ。

皆さんは食べる前にいつも、なんといってからご飯を食べますか?

ぼくはもちろん「いただきます」と言ってから。

*

ぼくらにとっては当たり前なこの「いただきます」。

実はとっても深い意味があるのを知っていますか?

いただきますという言葉は、単にその食事を作ってくれた人のためだけの言葉ではありません。

実は、いただきますという言葉の奥には

その食事ができるまでにそれに関わったすべての人たちと、

その食事のもとになっている生き物すべてを

自分たちのために「いただいているんだよ」という感謝の意味合いが込められているのです。


*

たとえば唐揚げ定食ひとつとってみても、

それを作ったお母さんか、お父さんか、コックさんか、彼女か彼氏以外にも

たくさんの人がその食事にかかわっています。

それを運んだ運送業者のひと、キャベツを作った農家さん、鶏を育てた畜産農家さん、お米を育てた農家さん。

そして、かかわっているのがひとだけだとは限りません。

唐揚げ定食の主人公、唐揚げ。

ここで、ぼくらはひとつの「鳥」の「いのち」を「殺して」食べているのです。


「いただきます」という言葉には、そんなことを気付かせてくれる力があります。

ぼくらが普段忘れがちな存在を、教えてくれる言葉なんです。

*

そもそもこんな言葉を食事前に言うのは、日本くらいだそうです。

せっかく言い言葉を持っているんだから、その意味をしっかり知って、

いろんな事に気がついて、ちょっと考えてみるきっかけに使ってみてください。

もちろん、ごちそうさまもわすれずに。


*


というわけでーーーー

みなさん【10月31日TOEICのあと】に開催する【食糧問題に関するチャリティ・イベント】来てください!!

ぼくが1年の時に友人と作って、そいで2年間頑張り続けてきた団体の俺らの代最後のイベントなんです!!

まじ来たら絶対後悔しません!

俺が大学生活をかけてきたS.A.L.のプロジェクト
「Focus on myself」の発表も行います!!

インド、日本、チベット、カンボジアの子どもたちの写真を見るベスト・チャンス!

よろしくお願いします!
 

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★学生団体S.A.L.主催 複合型チャリティ・イベント★

【LAUGH & PEACE-こころに、世界に、おいしいひととき‐】

10月31日(日曜日)@麻布十番WAREHOUSE702
(都営大江戸線[麻布十番駅]7番出口 徒歩3秒)

OPEN:16:30
START:17:30

http://salsal.info/event/
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来る10月31日、学生団体S.A.L.が3度目のチャリティ・クラブイベントを開催!!

学生団体S.A.L.がハロウィーンにお送りする今回のイベントでは、
ライブや写真展、さまざまなブースといったコンテンツを通じ、
【食糧問題】を中心にフォーカスを当てていきます。

イベント・コンセプトは、【しあわせのおすそ分け】。

楽しみながら、笑いながら、食糧問題を知っていきませんか?
そして、救っていきませんか??


*本イベントの収益はTable For Twoに全額寄付され、
アフリカの恵まれない子ども達の給食費にあてられます。

*チケット予約はこちらから http://form1.fc2.com/form/?id=592417

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★CONTENTS★
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今回のイベントでは
【楽しむ】【食べる】【見つける】【魅入る】【考える】と言った
さまざまな充実したコンテンツを用意!!

ご来場された皆さんひとりひとりが、
それぞれのコンテンツを自分だけの方法で味わってください!!
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★【楽しむ】★

メイン・ステージでは抱腹絶倒のお笑いあり、
驚愕のマジックあり、興奮のダンスステージあり、
熱狂のライブありの濃密な時間になること請け合いです!!

[出演者]
マジック:shogo
ダンス:REG-STYLE
バンド:K.B.R. Society KALUA Regular Band
芸人:ジャガモンド、プラスガンマ
ダブルダッチ:over thumpz


★【食べる】★

食販ブースでは世界のさまざまな伝統料理の販売や、
アフリカで提供されている学校給食の試食を提供予定!!
めったに食べることのできない食べ物を味わうチャンスです♪

また、学校給食は実際に現地で提供されている物と同じ物を提供します。
小さな繋がりから、食糧問題に対する興味を広げてみてください!!

また、食販ブースでの販売はすべて【Table for Twoメニュー】となっています。
みなさんが何かを食べれば、それがアフリカの給食支援に【直接繋がります!!】


★【見つける】★

国際協力の土壌で活動している3つの他団体と1つの特設ブースを設置!!
食糧問題だけではない幅広い種類の団体の活動から、
ぜひを皆さんなりの【きっかけ】を見つけてください!!

[ブース出展団体]
うのあんいっち
switch
FEST
特設ブース(ライフ・ストロー実演)


★【魅入る】★

Focus on myselfプロジェクト写真展では、
インドや日本、カンボジアの子ども達が撮影した3つのテーマの写真を展示します!

テーマは「たいせつなもの」「つらいこと」「自分の国の紹介」。

主人公である子どもたちが自分を表現します♪
さまざまな国々の【子どもたちだけの世界】を、ぜひご覧ください!!


★【考える】★

楽しく賑やかに過ごしながらも、食糧問題について「考える」コンテンツもしっかり
と準備中!!

「食」に関するミニ動画の上映やプレゼンテーションなどを通して、
ご来場頂いた皆さんが参加しながら【何かしらの行動を起こせる】ようなきっかけを
提供します!!


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★TICKET★
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チケットを予約していただくと、いまならなんと500円割引!!
お早目のご予約をお勧めします♪

学生:当日2000円 【予約1500円】
大人:当日2500円 【予約2000円】

チケット予約をご希望の方はこちらへ
http://form1.fc2.com/form/?id=592417

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★WEB CONTENTS★
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イベントと連動してWEBコンテンツも開催中!!ぜひご覧ください♪

★世界の伝統料理紹介ブログ
アンケートで1位に輝いた伝統料理は、なんと当日会場で無料配布予定!!
http://lpsal.seesaa.net/

★Twitter
ハッシュタグ募金を実施中。あなたのつぶやきが募金になる!
http://twitter.com/sal_keio/

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*本イベントの収益はTable For Twoに全額寄付され、
アフリカの恵まれない子ども達の給食費にあてられます。
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【ご協賛】
株式会社ジェイ・ブロード 
株式会社グローバルステージ 
株式会社留学ジャーナル 
株式会社ソウ・エクスペリエンス 
株式会社エイチ・アイ・エス 
株式会社オーシャナイズ

【ご協力】
NPO法人 TABLE FOR TWO(http://www.tablefor2.org
インドサンタナグループ(http://www.indiasantana.net/

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【学生団体S.A.L.とは】

今回のイベントを主催する学生団体S.A.L.は「学生が主体であること」を前提とし、
国際問題に関して理解を深め、啓発していくことを目的として2008年6月に立ち上げ
られた、
慶應義塾大学に本部を置く学生団体です。

HP: http://salsal.info/

【TABLE FOR TWOとは】
先進国の私たちと開発途上国の子どもたちが、時間と空間を越え食事を分かち合うと
いうコンセプトで
2007年の秋に設立された団体です。対象となる定食や食品をご購入いただくと、1食
につき20円の寄付金が、
table for twoを通じて開発途上国の子どもの学校給食になるというプログラムを実
施しています。

HP: http://www.tablefor2.org
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2010年09月26日

帰国。旅を通じて思ったこと。


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14日間という短い旅でしたが、とりあえずほとんど移動ばっかりの旅でした。総移動時間はおよそ72時間。インドは広いんだなあと気付かされました。インドからネパールまでの陸路移動は鬼畜です。特に国境からのバスが鬼畜です。死ねます。

まあそんな過酷な旅の割に特に大きな出来事はありませんでした。カルカッタでタクシーの運ちゃんと喧嘩したとか、インドの海で眼鏡を失くしたとか、その程度です。

一緒にいた後輩はインド人に殴られたり、めっちゃぼったくられたり、バイクで事故ったりとブチかましてくれていたんだけど、まあそういう人もいるよね。

*

インドははじめて、ネパールはにかいめ。

沢木耕太郎の深夜特急では、ネパールのカトマンズは陰鬱とした暗い街みたいに描かれていてほとんど日の目を見ないけれど、俺はカトマンズが大好きです。あの乾いた独特の空気感と、雑踏とした町並み、仏教とヒンドゥーが混ざり合った感じが大好きです。

カトマンズで一番お勧めなのはパシュパティナート。ネパール最大のヒンドゥー寺院です。ガンジス河の上流とされるその河では毎日火葬が行われているんだけど、そこでまったり3時間くらい過ごす時間はほんと最高です。なんだか複雑な気持ちになるけれど、感動します。


*

最初に訪れたインドのプリーではプロジェクトをやっていました。4日間。

相変わらず子どもたちにカメラを配って「たいせつなもの」「つらいこと」「自分の国の紹介」を撮ってきてもらいました。子どもたちがめっちゃ喜んでくれてうれしいです。

「表現するきっかけをくれてありがとう」みたいなことを言われた日には泣きそうになります。
現像した自分の写真を覗き込む子どもたちの眼はほんとうにキラキラしてて、やっぱり泣きそうになります。

カンボジア、日本、チベット、インドと繰り広げてきたプロジェクトなわけですが、子どもたちの視線っていうのはやっぱりまっすぐで、楽しそうで、素のままです。変にこだわりとか隠したいモノが無い分、そうなるのかもしれません。

いろんな国の子どもたちの写真を見ることが出来てほんとうに自分はしあわせだなあと思います。一緒にプロジェクトをやってくれた、やってくれているみんなにはほんとう感謝しているし、協力してくれたNGOの方々、そして子どもたちにも感謝しています。

来年また、最後に1回どっか違う国で、あわよくばパレスチナでやりたいなあって思っています。むろん、最後じゃなくて、これからずっとやっていくかもしれないけれども。

インドの子どもたちを中心としたみんなの写真は10月31日のイベント→ http://salsal.info/event/ で公開するのでみんなまじで来てください。
2月にはしっかりと全部の国の子どもたちの写真をまとめて写真展で公開する予定です。

お楽しみに。


*

とりあえず14日間ではいろんな人と出会いました。

日本とインドをつなげたいってインドを拠点に活動している坂本さん。
10年ぶりに一人旅しにインドに来た洋介さん。
インドのプリーで先生をしているスッチー。
高橋歩と奇跡的に出会って一緒に学校を作ってしまったマルコ。
日本に行くことが夢だというイスミタ。
大学院でITを勉強する、将来は「人生を楽しみたい」というナンディープ。
両親がラサにいるから、いつかチベットに戻りたいというチベット難民のおじいさん。
ホテルでインターンしながら、歌手になりたかった夢を諦めきれないネパール人の大学生。

などなど。


いろんな人と出会って、いろんな話を聞いて、いろんなことを考えました。

やっぱり旅の醍醐味っていうのは、その旅で味わうその国の文化ではなくて、そこに暮らす人たちなんだなあと痛感しました。「ひと」と触れあうことで旅の醍醐味は爆発的に広がります。

今回の旅の途中から「What is your dream?」って出会う人出会う人に聞くようにしてみました。そうするとなんだか、すごい充実した気持ちになれることに気付きました。どんな人にも夢があって、どんな人にも人生がある。そんな単純なことだけど、いままで気付けなかったことに、しっかりと気付くことが出来たような気がしています。

そんな内容のすべては、とてもじゃないけど消化しきれないし、文章でも写真でも絵でも描ききれないので、まあ自分の中に仕舞っておきます。

*

写真は落ち着いてまとめおわったら公開します。大した写真は無いけれど、見てやってください。

今回の旅では写真はコミュニケーション・ツールでした。行く先々でポートレートを撮影しては、その場で印刷してプレゼントをしていました。写真をもらう人たちの笑顔は僕も笑顔にしてくれるし、なんだか恥ずかしい気持ちにもなるわけです。

おやすみなさい。
posted by kota at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

【コラム】目に見えない支援

ODAみたいな類の政府による支援って言うものは、どうも目に見えづらい。ニュースとか大学で「政府がとある国に5000万ドルあげました」とか言われても、あんまりにも大きなお金すぎて実感がわかないのだ。

「日本はただでさえお金がないんだから、役にも立ちやしないODAなんかしていないで、自国のために使え」という意見をたまに耳にすることがある。たしかに、それも一利あるなと思える。「それが日本のためになっているんです」とかいう意見を聞いても、本当かなあと感じてしまう。自分の生活に直接関わりが無いから、そう感じることもあるのだろう。

「形」を見ればそんな気持ちも無くなるかなと、僕は思っていた。しかし、そういうわけでもなかった。堂々と日の丸が描かれた橋やダムたちを、僕はネパールやカンボジアでちょこちょこ見てきたが、現地で実際に日本の支援を形として目にしてみても、どうも実感がわかなかいのだ。本当に役立っているのか、感謝されているのかもわからないし、無駄だと言われれば無駄なのかもしれないと言う気すらしてくるから、困る。

でも、そんな日本政府の支援に対する僕の疑い深い気持ちを一気に晴らしてくれた出来事があった。それは、ネパールの首都カトマンズで出会った、ガイドのおじさんの一言だ。ある夜、僕が一人で町をぶらぶらしているときに出会ったそのおじさんは、タバコをふかしながら僕にこう言ったのである。

「日本のJICAは、ネパールに大きな橋や綺麗な道路をたくさん作ってくれている。私たちは本当にそれを感謝しているんだ。本当にありがとう。」

どういう反応をすればいいかわからなかったし、日本人の代表が僕なんかでいいのかなあとも思ったが、とにかく僕は純粋に嬉しかった。そして、数字でも形でも実感できなかった「日本政府の支援」が本当に役立っているのだと、その時初めて実感できたのだ。支援をしていてよかったなあ、と誇りにすら思えてきたほどである。直接現地の人にお礼を言われることで、僕にの眼にはしっかりと「支援」が見えたのだ。

それ以来、僕は日の丸が描かれた橋を渡る時に、無駄だなんて思うことはやめた。きっとそこには、日本に対して心から「ありがとう」と感じてくれている人がいるはずなのだから。

「ありがとう」の力は、本当に大きい。


(S.A.L.メルマガ執筆記事)
posted by kota at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月22日

【コラム】写真の持つちから

この三連休、僕は東京都写真美術館が主催の「写美フォトドキュメンタリーワークショップ」に参加した。プロのフォトジャーナリストであるQ.サカマキさんと、AERAでフォトエディターをしている外山さんを講師とするワークショップで、将来フォトジャーナリストを目指す自分にとってはとても刺激的な時間だった。ワークショップを通じて、僕は「写真」の持つ力の素晴らしさを改めて実感することができた。



フォトジャーナリストに求められる最大の要素は、そこにある問題をどれだけ「美しく」「強く」そして「シンプルに」切り取ることができるかどうか、だ。それらの要素を兼ね備えた写真は、見ているヒトの心をがっしりと掴んで離さない。見ているヒトが写真の中に引き込まれてしまうような錯覚を覚える事もあるだろう。僕は、そうなる。

国際問題を伝える方法は、様々なものがある。講演会や文章、機関誌や映像、ホームページ。別に写真じゃなくてもいいじゃん、と言われると、そんな気もしてくる。

でも、ヒトに「こんな問題があるんだから、知らないとダメですよ!こんな可哀想なヒトたちがいるんだから、知らないとダメですよ!」とお説教するようじゃ、なかなか問題を伝えることはできない。ヒトはそういう伝え方を拒絶しがちだ。特にそもそも問題に対して興味がないヒトたちは、「自分はそんなことに触れたくない」と思ってしまう事がほとんどだと思う。

写真は、そういう壁をさらりと超えて行く。だから僕は、写真の伝える力を信じている。写真という「アート」か「ドキュメント」か、極めて曖昧な立ち位置にいる媒体だからこそ、そんな芸当がなせるに違いないだろう。写真という美しい布は、「問題」を優しく包み込むことで、見ているヒトの心にしっかりと入り込んでいく。それは、見ているヒトが自分から「何が起きているのか知りたい」と思ってしまうような魔法の力を持っている。



しかし、アートかドキュメントか曖昧な写真は、諸刃の剣でもある。それは、問題を「作品化」してしまうからだ。フォトジャーナリストは、時には死体の写真を撮ることもある。飢餓で苦しむ人々を撮ることもある。紛争の瞬間を撮ることもある。でも、それらを美しい構図の中に収めると、映っている問題は「静物」として変換されてしまう。それはアートとしての作品を成す、ひとつの要素に過ぎなくなってしまうのだ。それはある種、問題そのものを覆い隠してしまうことになり兼ねない。見ているヒトの感覚を麻痺させてしまうからだ。

アートなのか、ドキュメントなのか。

フォトジャーナリストはそのジレンマに耐えず苦しむこととなる。中にはそんな批判の矢面に立たされるフォトジャーナリストもいるし、倫理的な悩みを抱えて自殺してしまった方もいる。写真という極めて曖昧でナイーブな媒体を通すことには、それなりの責任が生じるのである。

しかし、そういう面を持っているからこそ、写真は魅力的で効果的な媒体なのだと、僕は考えている。



「一枚の写真が、世界を変えることがある。」

これは、報道写真誌DAYS JAPANの表紙に書かれている言葉だ。写真にはそれくらい強い力があると、僕は信じている。そしていつの日か、自分がそんな写真を撮ることができれば、と夢を見る。

僕の、フォトジャーナリストを志す気持ちは揺らがない。


文責/はたちこうた(代表)



◎追記
現在、恵比須にある東京都写真美術館では、世界報道写真展2010が開催されています。どれも素晴らしい写真ばかりですので、ぜひ足を運んでみてください。

http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-82.html

あと以下の写真がそのワークショップで作ったフォト・エッセイです。
テーマは「移動する人々」。

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S.A.L.ブログより転載
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2010年07月09日

【コラム】イスラエルにおけるsecurityとは何か

「Here is fucki’n conflict city.」
大学一年のとき、僕はエルサレムに2週間程滞在した。これはその時、馴染みになったレストランのジョンと言う店員が静かに呟いた言葉だ。当時、というか今でも、エルサレムの旧市街の中にはいつもイスラエル兵がいて、パレスチナ人を監視していた。少し離れた東エルサレムでは、パレスチナ人の故郷をブルドーザーが壊しながら、大規模な入植地が建設されていた。パレスチナ人であるジョンは、そんな風に壊されていく自分の故郷に胸を痛めていたに違いない。彼の一言には、とても切なくて、なんだか寂しい様な気持ちが凝縮されていた気がした。
イスラエルのパレスチナ人に対する振る舞いのひどさは有名だ。まるで人で無いようにパレスチナ人を扱う。分離壁とか言うとても大きい壁を作って、彼らを隔離する。市場のど真ん中に金属探知ゲートを設け、移動を制限する。モスクへの入場を制限・監視する、夜中に家をぶっ壊して、人を殺す。このような行動が、エルサレムだけではなくヨルダン川西岸地区やガザなどの占領地で日常的に行われているのである。僕自身もヨルダン川西岸地区を訪れた時、ヘブロンやジェニンに残る傷跡を目の当たりにした。そんな中で、イスラエルの行動にはただただ疑問を持たざるを得なかった。海外ではイスラエルを「抑圧者」と評す人も少なくはないのが頷ける。
抑圧者イスラエルの行動すべては、securityという言葉の名のもとに行われ、正統化されている。イスラエルのSecurityのためであれば彼らは何をしてもいいし、何かしても責任を逃れることが出来るのだ。たとえばパレスチナ人の少年を射殺したら、テロリストに見えたからと「security」のために射殺した、と言い訳すれば良い。このsecurityという言葉には、単なる「安全」という意味を超えた、別の意味が包含されているのである。それは、パレスチナ人に対する過度の不安や悪意、妄想に近い恨みをひとまとめにして、彼らを敵として見なすような「意味」だ。明らかにイスラエル主観で自己中心的なsecurityを抱きながら、イスラエルの占領政策は続いているのである。
イスラエルがこのsecurityを中心に物事を考えているうちは、二国家共存が成り立つことは絶対にないだろう。そもそもその考え方は間違えているし、それがパレスチナの恨みを呼び、問題をさらに複雑化させているのは明らかだ。本来Securityとは、ユダヤ人もパレスチナ人も関係なく、そこにいる「人」のための安全保障を示す言葉として使われるべきなのである。もちろん、両者の間で繰り広げられている争いは、単に言葉の意味付けだけで解決される様な単純な問題ではない。しかしそんな言い訳が出来るような逃げ道を用意しているようでは、問題を根本から解決することができるはずもないだろう。securityという言葉の意味に正面から向き合って、しっかりとそれを考え直す必要があるのではないだろうか。
泥沼と言われているその問題が解決しないなんてことは、絶対にない。何らかの小さなきっかけが、解決に繋がることだって十分にあり得る。ひとつの言葉の意味を見直すことから、おおきな平和が生まれる可能生は否定できない。いつの日か、パレスチナの首都となった東エルサレムで、笑顔で元気に暮らすジョンに会える日が来ればと、僕は切に願う。
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2010年05月28日

たばこと就活

明日っていうか今日、神奈川県の禁煙対策室に行って、インタビューしてきます。

実はいま自分が共同代表している団体、学生団体S.A.L.の有志でタバコに関するドキュメンタリーを作成中。

タバコ農家、タバコ会社、禁煙団体、愛煙団体、なんかにインタビューをして、
「タバコ=絶対悪みたいな風潮ってなんなの?」っていう疑問を解決できるような、
嫌煙の人が見ても愛煙の人が見ても納得いくようなものになればいいなと。

いやほんと最近のタバコ排斥運動にはコリゴリだから
ほんとうは「ぼくらにも吸う権利を!!」って言うのにしたかったけど、
まあみんながみんな吸うわけじゃないし、中立の立場をとります。

10月くらいには完成予定なんで、こうご期待。

*

3年生はそろそろ就職活動ですね。

院だフリーだ騒いでた俺もなんだかんだで就活することにしました。

現実には勝てませんでした。


共同通信受かった先輩に話を聞いたんだけど、
「就職活動は茶番だから時間をかけすぎないほうがいい」
って言われました。まじか。

ただ先輩さらに曰く、
就職活動は「人生の四半期決算」だから、
いままでの自分の人生を振り返るいいきっかけになるよとも言われて、
「おお、ちょっと面白そうだなあ」とも思ったわけで。

いままで就活怖いなーやだなーって漠然と思ってたけど、
そういう話を聞くとちょっと落ち着きます。

*

どうやら、就活のために〜するっていう考えたかはほんとやめたほうがいいらしいです。
それじゃ芯が無いし、意味も無いって。
本当やりたいことをやって、いま頑張れることを頑張るべきって先輩は言ってました。

セミナーとか自己啓発本とか、必勝系の本とかは気休めに過ぎないらしいんで、
いままでどおり自分がやりたいことをやっていきながら、就活に結び付けようと思います。

というわけで11月くらいまでは、ドキュメンタリーを撮って、もう一度くらい東南アジアに行って、温泉旅行も行って、出来れば一人旅もしたくて、自分の代が関わるであろうS.A.L.最後のイベントを10月末に盛大にぶちかまして、あとは遊んで飲んで笑って過ごします。

大学生は人生の夏休みとか言うらしいし、いまのうちにやりたいことを全力でやるに越したことはないですよね。

就活もだいじだけど、そのプレッシャーに負けてへんにいろいろ手を出して時間を消費しまくるよりか、いままでどおりに楽しい生活をするのがベターだと思ったわけです。得るものもきっと、それのほうが大きいんじゃないかなあと。

*

まあほんと、就職で人生が決まるわけではないって言うのが俺の持論で、
人生むしろそっからだし、もし割に合わないとか性に会わない仕事に出会ってしまったら、
そりゃあやめて転職なりフリーなり自営業なりすればいいじゃないですか。

つーか20代のうちにいろいろやれることやって行けるとこいくべきだから、むしろ率先してそういう風な選択肢を選んでもいいんじゃないかなあ。

ちょっとナメてるように聞こえるかもしれないけど、本気でそう考えてます。ていうか本気でそうしようとすればそうなるんだし。

まあ何が言いたいかって、とにかく就活をそんな重く捉えるのをやめよう!ってこと。とにかく、へんに怖がることなくリラックスして、半分楽しみながら、人生の四半期決算に臨もうと思ってます。

嫌々やってたらほんと、いやな気持になって落ち込むばっかな気がするもん。


たった一度の人生、楽しんだもん勝ちです。

おやすみなさい。

(mixiより転載)
posted by kota at 03:42| Comment(1) | TrackBack(1) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

【コラム】プロジェクトを創るとは

「子どもらしく、バカに、そして楽しく。」

実際そうなれと言われても、簡単なようで難しいこの言葉を、僕は自分自身ののモットーにしている。どんなときも、どんなことも、子どものように無限の発想を広げて、バカになってポジティブにならないで、そして全力で楽しんで行きたい。そう考えているからだ。

*

この間、自分の代表を務める団体、学生団体S.A.L.の新歓合宿があった。そこで行ったのは、プロジェクト立案ワークショップ。50人の新入生と一緒に、グループ毎に実施した。わくわくって何だろう?もやもやって何だろう?というおおきな曖昧な疑問を、ひとつのプロジェクトという形に昇華して具現化するワークショップだ。

ぼくは統括側ということで、それには参加できなかったのだけれども、みんな真剣に、そしてまじめに頑張っていた。


*

プロジェクトの最終プレゼンテーションが終わった時、ぼくは感じた。
「みんなちょっと、カタいな。」別に悪いことじゃない、カタくてもしっかり構築できているものばっかりだったし、論理的にも実現可能性にも優れているものはたくさんあった。でも、カタい。わくわく、しない。
そのとき僕は思った。「みんな、子どもらしく、そしてバカになりきれていない」って。

*

プロジェクトを考えるとき、ぼくらはまじめにカタく考えすぎてしまうことがたくさんある。理論構築や現実可能性、利益なんかの既成概念に囚われて、ガチガチになってしまうからだ。たしかにそれでも、いいかもしれない。そうすべきだと言う人だって、たくさんいるだろう。
でも、ぼくはそれじゃあ楽しくないじゃんと思ってしまう。いいアイデアとか、すごい面白いこととか、びっくりする企画って、絶対にみんなでわいわい楽しんでるときに飛び出すものじゃないか、と言いたいわけだ。

「こんなんどう?いいんじゃね?」
「あ!それすごい、いい!」
「めっちゃやりたい!」

そんな会話がはじまるようなわくわく感。これが大事。最初に言った「子どもらしく、バカに、そして楽しく。」っていうのはつまりそういうことなのだ。最初から変に網に絡まることなく、自由に発想していくことが、ここでは求められるんじゃないのだろうか。変ないろいろなムズカシイことは、あとから順を追って考えていけばいい。実現可能性が少ないなら、可能性があるようにアプローチしていけばいい。論理性がおかしいなら、論理を構築すればいい。利益が出るか不安なら、さらにアイデアを絞り出せば、いい。
自分がわくわくしないモノなんて、ほかの人もやりたくは、ならない。
楽しいものはきっと、わくわくする。バカなものも、子どもらしいものも、きっと絶対、わくわくする。
それならカタくなりすぎず、楽しく考えたほうがいいに決まってる。

*

たとえばカッコイイ橋を作るときに、橋の大きさも長さも色も形なんにも決まっていないのに、いきなり設計図を書くことはできない。仮に出来たとしても、なんだかフツーの橋になってしまうだろう。よくある、「THE 橋」みたいな橋。
そこで大切なのは、自分が子どものとき、真っ白な紙に落書きした感覚だ。
その感覚を思い出しながら、でっかく、好きなように、自分だけの橋を描いてみたらどうだろうか。もちろん、楽しく、バカに。

そうすればいつか、大きな虹の橋が、できあがるはずだ。

(S.A.L.ブログより転載)
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2010年05月18日

【コラム】カーゴ・カルト

 ジョン・フラムというアメリカ人がいる。彼は、バヌアツ共和国のタンナ島で信仰の対象となっている「神様」である。彼が再来すると言われる2月15日には毎年、「USA」のボディ・ペイントをした信者たちが島中から集まり、ジーンズに身を固めた筋骨隆々の男たちが竹槍をライフルに見立てながら行進する。そして夜通し歌い踊り続けて、ジョン・フラムが再来することを祈るのである。かつてタンナ島に大量の物資を運んできたと言われている彼が再来すれば、島は再び至福に満ち溢れるとされているのだ。

 この様な信仰はカーゴ・カルト(積荷信仰)と呼ばれ、20世紀が終わるまでメラネシアの島々に多く存在した。どれも、神や祖先たちが船や飛行機で文明の利器を島に運び込み、富と繁栄をもたらすという考え方の上に成り立っており、かつての植民地支配や、アメリカ軍による基地建設のインパクトによって発生したと言われている。孤立した島に文明が大量流入する事で、それに対する過度の憧れが具現化したに違いない。もちろん、文明に塗れて暮らしているぼくらには、そのような信仰はとても奇抜に写るだろう。いつやってくるかわからないカーゴに思いを馳せて待ち続けると言うのは、あまりにも他人任せで、本質を見極められていない気もしてしまう。しかし、現実にそれは存在していたのだ。

 オーストラリアの経済学者クライヴ・ハミルトンは、そんなカーゴ・カルトと資本主義経済の間に共通項を見出した。どちらも「物質の量が多ければ多いほど幸せになる」「いつかそれは実現される」という考えを基に成り立っている、と言うのだ。確かに、見方によっては双方とも似通った考え方なのかもしれない。幸せは物質的・金銭的・量的なモノと結び付かないとするハミルトンは、ジョン・フラムを待ちながら夜通し歌い踊るタンナ島の人たちがいつまでも幸せになれないように、物質的豊かさを夢見ながら資本主義の歯車として踊ってきたぼくらも、決して幸せにはなれないと述べている。結局のところ、資本主義信仰も他人任せで本質を見極められていないと、彼は言いたいのではないだろうか。

 ハミルトンは、経済成長至上主義を脱して、幸福主義を基本としたスローライフへのシフトダウンをすべきだと提唱している。人間らしい幸せを手にしよう、というわけだ。ぼくらもそろそろ本質に気付いて、歯車としての踊りをやめるべきなのかもしれない。ジョン・フラムは、決してぼくらの島にはやってこないのだから。
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2010年05月07日

【コラム】若者

大学の授業で、国家体制について面白い話を聞いた。「若者が多い国家では革命が多発し、老人が多い国家は安定する」という話だ。

若者は未来に希望を持って、体制を大声で批判し、アグレッシブに動き続けることが出来る。いわゆる若気の至りだ。だから、若者が多い国家では反乱やデモもしょっちゅう起きるし、国家は安定しないのも当たり前だという話である。一見論理的ではないが、確かにと納得できる。

いま反乱が起きているタイも若者が多い。というか、発展途上国はだいたい若者が多い。発展途上国の政治が不安定な要因の一つには、間違えなく若者の存在があるはずだ。そういえば、日本やアメリカでも、60年代には若者がデモ行進や大学の立てこもりを行っていたことがある。反乱に近い規模で、だ。あの頃、若者は多かったのだ。でも、ご存じの通り近年の先進国は大方、少子高齢化が進んでいるから若者が少ない。そのせいなのか大きなデモや反乱がおこる国も少ない。(最近混乱が続くギリシャは例外だ、たぶん若者じゃなくてもみんな若々しいのだろう。) まあそれが良いって言ってしまえばいいんだけど、どこの国も国家自体がそんなに健全な状態じゃないのに、なんかこうも覇気が無いのはどうかと思う。別に反乱を起こせって言ってるわけじゃないが、このままじゃほんともう先進国はみんな駄目になる一方な気がしてしまう。日本は特にそう。

 とりあえずこれを読んでいるあなたがもし若者なら、パソコンを捨てよ、街に出よう。携帯を捨てよ、街に出よう。ツイッターとかブログでちまちま国を批判していても、時代も、人も、国も変わるわけがない。みんなで集まって、少しは声をあげてみたらどうだろうか。なんでもいいから、行き当たりばったりでいいから、行動してみたらどうだろうか。そういう若者らしい、若者にしか持っていない特権を生かさないと、もったいないでしょ。

といいつつも、そんなことは誰もやらないし、やる気もないだろう。そういうのが自然と出てくることこそ、若気の至り。全体的に覇気が無いんだから、もうどうしようもないかもしれない。そう言って僕は、今日もパソコンに向かう。

(S.A.L. メールマガジンより)
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2010年04月27日

【コラム】宇宙人のはなし

S.A.L.のブログで書いたコラムをまた引用。

ホーキング博士が「もし宇宙人がわたしたちのところにやってきたら、コロンブスがアメリカ大陸にやってきたような結果になるだろう。」って言ってたから、ふとこのコラムを思い出した。

そのニュースはこちら。
→「宇宙人はいるかもしれないが、コンタクトするのは危険」ホーキング博士
http://www.afpbb.com/article/entertainment/entertainment-others/2721250/5669995


*

もし仮に宇宙人がいるとして、彼らは地球人よりも圧倒的に多数のマジョリティだとします。

宇宙人調査団がまだ全宇宙からしたら未開である地球にやってきて、様々なレポートを書きました。

内容はだいたい、環境破壊、戦争、核、水、食料、女性と子どもの権利について、などなど。このレポートをみた宇宙人たちは驚きました。地球人はなんて野蛮なんだ、どこまで前近代なやつらなんだ、と。地球は彼ら宇宙人の一般常識からあまりにもかけ離れた世界だったのです。

さて、宇宙人たちはそんな野蛮でな前近代的な地球を近代化させることが急務だととらえ、地球へとやってきました。そして、地球人を自分たちと同じようにすべく、あの手この手を使ってきました。

ちなみに宇宙人の洋服は短パンにノースリーブが一般的で、宇宙人女性は化粧をしませんし、髪は男女関わらず坊主です。差別ととらえるからですね。子どもという区別はなく、みんなで朝から晩まで働きます。穀物や動物は食べません。人工的な錠剤を毎日3回飲みます。

まあこれが彼ら宇宙人の一般常識であり、宇宙全体ではマジョリティにあたるから、地球人もこうなれよ、と宇宙人たちは僕らに言ってきたわけですね。


あなただったら、この宇宙人たちをどう思いますか?たとえ宇宙全体がそういう一般常識を持っていたとしても、無理にそれにあわせたいと思いますか。僕はいやです。

僕らには僕らの生き方があるし、価値観や生活があります。なぜマジョリティにあわせなきゃいけないか、わかりません。

さて、こんなたとえで僕は何がいいたいのかといえば、途上国を開発するぞ!といいながら、私たち先進国に同化したり、先進国マジョリティにあわせるような「上からの開発」をするのは間違えているのではないか、ということ。

一元的に「あそこの文化は私たちと違うから野蛮だ、だから教育すべき」だとか「あの国にはあれがないからだから不便だろ」だとか、そんなふうにとらえて支援や開発をするのは、たとえに出した宇宙人と同じです。価値観の押しつけであり、自己中心的であり、相手を思いやることができていません。


どんな支援や開発をするにも、いや、どんな形でも、ある特定の地域に関わるならば、その地域の価値観や文化、生活をしっかり学び、理解しなければいけないのではないでしょうか。そして、地域によって、アプローチの仕方を変える必要があるのではないでしょうか。

具体的なアプローチの仕方は、地域や、関わる方法によって変わってきます。これを読んでいるひとには、ぜひ自分で調べ、そして良いアプローチを見つけだしてもらいたいです。


さてさて、地球を変えようといきりたった心やさしい宇宙人は、なかなか言うことを聞かない地球に軍を派遣してきました。地球人はいったいどうなるのでしょうか。次回、急展開。こうご期待。つづく。
posted by kota at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャーナリズム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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