2010年04月26日

【日記】伝えること

イベントが終わった。

かねてから準備を進めていて、昨日開催だったLIVE&PIECE 2ndというチャリティ・ライブイベントだ。

イベントは面白い、というか楽しい。ひとつの大きなイベントを作り出すって言う作業ほど、病みつくものはない。

イベントに来場してくれたお客さん達が 来て良かった 楽しかった って言ってくれるようなモノを作り上げれたという達成感、やっているときの緊張感とわくわく感、準備期間の疲労感。どれを手にとっても、ほんと最高だ。

小さな箱を借りて、その中に自分たちのモノを押し込んで、伝えたい物をストレートに伝える事が出来る。どんなに素晴らしい事だろう。

*

LIVE&PIECEはただのライブイベントじゃない。お笑いやアーティスト、ジャグリングなどの様々なパフォーマンスを行う事で、お客さんを楽しませることはもちろん目標のひとつだ。

でも、そのパフォーマンスの間に挟む「啓発の時間」が一番重要なのは確か。しっかりと「マジメなハナシ」をする時間をライブイベントの中に設けることで、お客さん達をこう言っちゃ悪いけども「無理に」啓発することが、大切。

今回のライブのテーマは、地雷問題だった。だから、地雷問題についての伝え方を、みんなでほんとうにいろいろ考えた。

伝えることは簡単な事じゃない。文字がひとつ違うだけで、言葉がひとつ違うだけで、息継ぎの場所がひとつ違うだけで、まったく伝える意味は変わってしまう。

地雷とかみたいな兵器を伝えるときには、暴力的な伝え方もできる。被害者の画像を見せるのもそのひとつ。でも、それが逆に問題意識を持たせない「可哀想」の気持ちしか生み出さない可能性もある。怖さが率先して、目をそむけてしまうこともある。

だからほんとうに、今回の啓発タイムの台本は吟味する必要があったんだと思う。


*

僕らは最終的に、国連の地雷啓発CMをその時間に組み込むことにした。

地雷の危険性をうまく凝縮したビデオ。賛否両論だけど、確かにインパクトは強い。地雷というものを単純に怖がらせて、可哀想と思うだけに留まらせない問題提起の力があると思ったから、それを組み込んだ。


http://www.stoplandmines.org/slm/index.html

これをイベントに組み込んだのは、いい判断だったんじゃないかと思ってる。
肉付けが充分なされたから。視覚と聴覚で、問題意識が染み込むから。


*


イベントに来てくれたひとりひとりの人が、何らかのアクションを起こしてくれれば、このイベントはうまく行ったと言えるんだと思う。

アクションなんて、なんでもいい。地雷問題をgoogleで検索することも立派なアクションだ。それは自己満足だとか、意味が無いって言う人も多いけど、僕はそうは思わない。

「ひとりじゃ世界は変えられないけど、みんなで世界は変えられる。」

ジョン・レノンだか誰だかが言ってたよね。

ひとりが検索したことをそのひとりが他のひとりに伝えれば、それはいつかみんなになるじゃないっていうね、物凄く単純な理論。論理破綻してるかもしれないけど、僕はそれを信じてるってだけ。

いますぐ変わらなくても、だんだんと良くなれば、いつかはみんな幸せになれるんだよ、絶対。感覚的で、論理的じゃない、バカみたいな発想だけどさ。

まあそれだけです。ね。おやすみなさい。
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2010年04月17日

【コラム】橋の上から

人が燃えていた。ものすごい勢いで燃えていた。暗闇の中でめらめらと燃える炎は、なんだか神秘的だったし、これがひとりの人だったのかと思うと、やるせない気持ちにもなった。人が燃えるのを見るのも、その煙を吸い込むのも、生まれてはじめてだった。

僕はそのとき、ネパールの首都カトマンズにあるヒンドゥー寺院にいた。ヒンドゥー寺院の一角にある橋の上から、僕は火葬の様子を見ていた。その橋はガンジス川の上流に当たる川に架かっていて、川の岸辺では家族達が亡くなった母親の遺体を荼毘に伏していた。僕が寺院に着いた時、ちょうど火葬が始まる瞬間だった。おそらく長男であろう男性が、母親の遺体を少し高い石段の上に乗せて周りを藁で取り囲み、上から油を注いでいた。

僕らにとっては非日常的なその光景も、ネパールでは当たり前の出来事だ。ネパールのヒンドゥー教徒は亡くなるとみんな、この寺院の川辺に備え付けられているガートと呼ばれる場所で火葬され、遺灰は目の前の川に流される。それは、遺灰が川の流れに沿って聖なるガンジス川にたどり着いたとき、亡くなった人が輪廻に入って再び「生」になると言われているからだ。

僕は最初、そんな光景に出会えてラッキーだとしか考えていなかった。僕にとって赤色の服を着た遺体は、川辺と無機質な石段に対して映える色合いに過ぎなかったし、その行為自体もただの珍しいオリエンタリスティックな「景色」だとしか捉えていなかったのだ。だから特に何も気にせず、いかにも日本人の観光客と言う感じで、僕は一眼レフのシャッターを切り続けていた。しかし、喪主である息子が母親の遺体に火を付けた瞬間、もうもうと遺体から立ち上がり始めた煙を吸い込んで、僕は変な気持ちになった。これがただの景色ではなく、本当に目の前で起きている「出来事」であることに気が付いたからだ。これがとても大事な儀式であり、ここが厳格な場所であり、いまがとても大切な時間であるということを、その時はじめて理解したのだ。橋の上からただの観光客として、ただの景色にしかその光景を見ることのできなかった僕は、確実にすべてを邪魔していたに違いない。自分を恥じた僕は、一眼レフのシャッターを切るのをやめた。そして、橋の欄干にもたれながら、燃えあがる炎を静かに見つめた。

そこにはひとつの大きな悲しみが存在し、同時に大きなひとつの命が輪廻に入ろうとしていた。ひとりの一生が、ゆっくりと時間をかけて、大きな炎と煙に変化し続けていた。色合いやオリエンタリズムなんか関係の無い美しさが、そこにはあった。辺りに広がる煙が、つんと僕の鼻を刺した。
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2010年03月27日

【コラム】写真と違和感とありがとう

たとえば、あなたがカンボジアに行ったとする。
そしてスラム街で、子ども達の素晴らしい笑顔に出会ったとする。

言い忘れていたけれども、あなたの手には、高機能なコンパクト・デジタルカメラが握られているとする。

ほとんどの場合、あなたはそのカメラで、子ども達の笑顔の写真を撮るだろう。

自分が一緒に入るのか、子ども達を何人か集めるのかはわからないけども、とにかく写真を撮るだろう。

そして、あなたは子ども達に写真を見せるだろう。


あなたはそんな子ども達の笑顔の写真をたくさん撮って、帰国したら、例えばmixiやFacebookなんかのSNSにアップロードして、友達に共有するだろう。


さて、この一連の流れに、何か違和感を感じる人はいないだろうか。
当たり前すぎて、感じないかもしれない。

でも僕は、違和感を感じた。

どこに?なんで?

*

この流れは、別になんにも悪いことじゃないとは思う。

だって、その子ども達は写真を撮られて嫌な気持ちにはなっていない。カメラを持っているだけで、「撮って撮って!!」と寄ってくる子どもばっかりだ。その子たちを写真に撮ると、撮られた子どもたちは喜ぶし。

でも、僕は違和感を感じた。

*

僕が違和感を感じたのは、子ども達は写真を「撮られている」だけであるという事実に対して。

例えば撮った写真をその場で子ども達に見せてあげても、子ども達自身は一回見せてもらったらその写真を自分の手元に置いておくことはできない。思い出としての写真は残らない。それは僕らの手元にだけあって、それは僕らにとっての「思い出としての写真」になってしまう。

写真というのは、情景と一瞬を切り抜いて永久化することだ。

写真を手元に残せない子ども達にとっては、写真を撮られたことは一瞬であって、永久にならない。写真の利点が全く生かされていないのだ。言い換えれば、僕らが勝手に子ども達を撮って、勝手にそれを思い出にしているだけな気がしてしまうわけだ。

だから僕は、その行為に違和感を感じたのだ。

*

写真はコミュニケーション・ツールだ。

ただ相手を撮っているだけでは一方通行になってしまう。コミュニケーションできていない。それをしっかり、相手にとっても自分にとっても、思い出の一枚に出来ないと、写真の良さを生かせていないし、本当に自己満なんじゃないかと思ってしまう。

別に旅行先の子ども達にだけ、この話が当てはまるわけでもない。どこだって、写真はそういうものだ。

*

僕はこのことに違和感を感じてから、なんだか子ども達にカメラのレンズを向けることに戸惑いを覚えてしまった。二回目にカンボジアに行った時、僕はほとんど子ども達の写真を撮ることが出来なかった。

考えすぎと言ったらそれで終わりかもしれない。子どもたちは気にしていないかもしれない。自己満足の問題かもしれない。というか、そうだろう。

でもやっぱり、僕はこの違和感どうにか解決したかったから、今回チベットに行く前にあるものを購入した。

それは、ポータブル・プリンターだ。

デジカメとつないで、その場でシール状の写真が印刷できる、プリンターだ。

その場で写真をプリント出来れば、写真を撮って、それをプレゼントするという、「コミュニケーション」が生まれる。コミュニケーション・ツールである写真の真の良さを、生かせる。しかも、自分だけの思い出にはならない。相手にも、一瞬ではなく写真として、しっかりと手元に残る。

子ども達にも、思い出としての写真を共有することができる。子ども達の笑顔を勝手に撮るんじゃなくて、子ども達自身ともシェア出来るのだ。

買うしかないと思った。

*

僕はチベットで、それを大活用させた。チベットで実際にポータブル・プリンターを使うと、子ども達は本当に喜んでくれた。

自分が写っている写真を、恥ずかしそうに、嬉しそうに、それぞれが手にぎゅっと握って、よーく、じっくり食い入っている子どもたちを見ていると、僕もとても嬉しくなった。

そして何より、子ども達がみんな声を揃えて言ってくれる言葉に、僕は何度も感動した。凄い単純だけど、写真を撮るだけじゃ絶対に言ってもらえない言葉だった。


「トゥチェチェ(ありがとう)」。


それ聞いたとき、コミュニケーションが生まれた。違和感は消えた。
撮ってよかったと思ったし、撮るときに躊躇する事もなくなった。

*

たとえば、あなたがカンボジアに行ったとする。
そしてスラム街で、子ども達の素晴らしい笑顔に出会ったとする。

言い忘れていたけれども、あなたの手には、高機能なコンパクト・デジタルカメラが握られているとする。そして、ポータブル・プリンターもあるとする。

ほとんどの場合、あなたはそのカメラで、子ども達の笑顔の写真を撮るだろう。

自分が一緒に入るのか、子ども達を何人か集めるのかはわからないけども、とにかく写真を撮るだろう。

そして、あなたは子ども達に写真を見せるだろう。

そして、あなたは子ども達に写真を、プレゼントするだろう。

子ども達はあなたに、ありがとうと言うだろう。


CSC_0461.jpg DSC_0468.jpg
(チベットの村で、子ども達と/印刷した写真に見入る子ども達)

S.A.L.ブログより転載
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2010年02月24日

今日気になったニュース。

●日経を丸ごと読める「Web刊」、単体月額4000円で 「良質な情報はタダではない」

(via ITmedia)

インターネットの出現における新聞の在り方について、日本の新聞は甘えてるだのなんだのニューズウィークに書かれてた。アメリカとかではもう打撃が大きくて、廃刊が相次いでるわけで、そんなところに来てNY TIMESが有料化して、ビジネスプランを構築しようと模索してる。
日本もこういう風に、「ネットニュースは無料じゃない」っていう価値観を構築するのが急がれると思う。そういう意味で、日経が先を切ったのはエライ。今後どういう流れが組まれるか期待。

さて、日経の社長曰く

「ネットに無料の情報があふれる中、情報が本物か、発信源はどこか、誰か事実を確認したのか、確かなものが分かりにくくなっている面もある。紙の新聞で培ってきた正しい報道や価値のある言論、ジャーナリズムを、PCや携帯電話などデジタル機器に親しんだ人にも提供するのが使命」


とのこと。こういうことを言えるのは素晴らしいことだよね。ジャーナリズムの概念がふらふらして、よくわからなくなってる今、マスメディアの在り方とか存在意義が問われている。頑張ってもらいたい。


●五輪=ボブスレー女子、日本のそりは「金メダル」の美しさ

(via ロイター)

単純にすげーと思いました。
あの、ボブスレーの真っ白な部分をパレットとして捉えちゃう価値観が素敵。他の国でもこんなことしてるところ、ない。表現という意味でも凄い良い試み。
日本を伝えて行くという意味で、”ソフトパワー”の概念に近い良さがあると思う。これを見たら結構「おお!」ってなるでしょ。
日本の広告塔になってるオリンピック選手は、こういう遊び心でイメージアップに努めてほしいとおもったー。




●スーダン政府と主要反政府組織、紛争終結に向けた枠組み合意に正式署名

(via ロイター)

ダルフール紛争がついに終結?

くわしい先行きはわかんないし、あんまり勉強してないから事情もわからないけど、「史上最大の人道危機」ってUNHCRとかが言ってたのは覚えてる。それが終結に向かう兆しを見せた時点で、凄いプラスだよね。
がんばってほしい。

こういう紛争ってやっぱり、結局上位層が上手くまとまらない限りなんも解決に至らないのがなんだかなあって感じだ。
イスラエル・パレスチナだって、どんだけ住民と兵士がにらみ合いしたり、インティファーダしたりしようとも、お互いは本当は悪くない。悪いのは上で、そのイデオロギー対立とプロパガンダに流されてしまって、あたかも下がぶつかってるように見える。

理不尽だよなあ。ピラミッド構造だと、ほんとうに理不尽で、BOPが一番損をするんだよなあ。

やれやれ。

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2010年02月18日

【写真】富士山

CSC_0273_2.jpg

今日はダイヤモンド富士を見に行ったけど見れなかった。

でもその分たっぷりの雪景色と、温泉を楽しめた。
だから満足。

写真は、1月末の富士山。
芦ノ湖スカイラインから撮影。

*

温泉は本当に好きだ。
やっぱり、露天風呂が好きだ。

あったまるし、疲れも取れるし、
いろいろと考えれるし、友達といけば話も弾む。

内風呂ってほとんど入らないことに気付いた。

外でボーっと眺める良さがある、ってこと。


*

スノーボードクロスが面白かった。
やっぱりスノーボードしたい。
チベットから帰ってきたら、絶対に行こう。
雪質にはそんなに、期待しないけれども。

*

いろいろと、抜け出すべき。
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今日気になったニュース。

これから、その日に見たなかで気になったニュースとか、ピックアップして行こうと思った。

●マクドナルド、神奈川県内で3月から全店舗禁煙へ

とりあえずやり過ぎだと思う。
まあ俺が喫煙者だから、ってこともあるけど、いくらなんでもと思った。
コーヒーと煙草が良く合う事を、嫌煙家の人たちは知らないんだろうか。
自分が良ければ、それでいいのかなあとも思う。
もちろん、こういう事を言うには煙草のマナーを守らないとなんも言えないわけだけども。

●ジョージ・ポーク賞ビデオ部門賞に、イラン「抵抗のシンボル」撮影した無名の市民ら

イラン大統領選挙のとき、治安部隊に殺害されたと言われる少女ネダの動画と画像は、twitterとYoutubeで一気に世界中に広がった。
CNNがtwitterとかYoutubeをソースにして、この事件を報道したことには、市民ジャーナリズムの今後に対して大きな意義があったと言われていた。
イラン側もtwitterに対するアクセス遮断、逆にアメリカ国務省は"twitterに対して"メンテナンスの日程をイラン選挙の日程から外すように指定したくらいだから、その力の大きさには双方共に驚いたんだろうと思う。
何よりその事件と、それを伝えた"無名の市民"がジョージ・ポーク賞を受賞したってことが素晴らしいわけだ。

●豪華モデルが出演!ハイチ支援のチャリティ・ファションショー

We are the worldのハイチ・バージョン(下)もそうだけど、海外はこういう大々的なチャリティ・イベントを、あちらこちらで行うっていう考え方がすばらしいなあとか、思う。
日本でもちいさいのは有るとは思うんだけど、広報戦略が下手なのか、大々的じゃない。伝えるとか、助けるって意味は、多くの人にそれを知らせることからはじまる。ただの内輪の自己満足で終わらせないで、広報をうまくやって、”大きな”イベントからムーブメントを生み出すべき。

いいことに変わりは無いのに、知られてるか知られてないかで、効果には雲泥の差がある。もったいない。



俺はiTunesストアで曲を買った。150円だけど、何かに繋がると思う。
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2010年02月14日

【コラム】平和の式典の裏側で

バンクーバー五輪が開幕した。僕はスノーボードが好きだから、冬季五輪は楽しみだ。スノーボードクロスは、特に楽しみだ。日本勢の活躍にも期待したい。
オリンピックというのは国を挙げた一大イベントであり、その中でも開会式はすべてを象徴するイベントだ。バンクーバー五輪開会式の推定視聴者数は世界で約30億人。世界のふたりにひとりが同時に見ていた開会式のテーマは「先住民の尊重と自然との共生」。まさに平和の式典にふさわしいテーマである。素晴らしくそして美しいオープニングだった。
さて。そんな平和の式典の裏側で、NATO(北大西洋条約機構)が、アフガニスタン南部の都市に対する大規模掃討作戦を開始していた事を、みなさんはご存じだろうか?たぶん、知る人は少ないだろう。各メディアはオリンピック開会式と国母選手のズボン問題一色。アフガニスタンのあの字も出てこなかったはずだ。少なくとも、僕が見ていた夜のニュース(NHK,TBS,フジ,朝日)では一切出てこなかった。ニュースの一部を抜粋しよう。

「アフガニスタンで反政府武装勢力の掃討に当たる北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)は13日未明から、同国南部のヘルマンド州マルジャ市で大規模な軍事作戦を開始した。同市は、イスラム強硬派勢力タリバーンがヘルマンド州で支配する最後の拠点とされる。
ISAFによると、2001年のアフガン軍事作戦の開始以降、最大規模の攻勢。作戦には米軍、英国、アフガンやカナダなどの兵士約1万5000人が参加している。オバマ米大統領が昨年末に打ち出した増派3万人の一部である米海兵隊約3000人も加わっている。」(CNNより)

平和の式典と最大規模の作戦の日程を被せてくるNATOのやり方は姑息だ。メディアが五輪一色で染まるであることを利用して、国際世論のバッシングを極力避けようとしている。さらに、作戦に参加している兵士の中には、なんと五輪主催者であるカナダ兵も多くいるらしい。果たして、そんなことでいいのだろうか。対テロ戦争・タリバン掃討と言えば美化されるその攻勢の裏には、人口8-10万人と言われるマルジャ市に住む一般の人々がいるのだ。作戦開始前に避難を呼びかけたと言うが、一般市民の方々はまだ市内に多く残っているという。その人たちにとって、せっかくの平和の式典の開会式を見ている余裕は、全く無いだろう。銃弾が鳴り響き、町に戦車が行き交う中で、誰がそんなものを見れるというのだろうか。一般市民の方々の犠牲者が出ないことを、ただただ祈るのみである。
それに、これをまったく報道しない日本のメディアの対応もひどい。マルジャ市に住む人々たちの命は、国保選手のズボンよりもよっぽど重い。少しでも知らせる義務があるはずだ。むろん、僕らも、知ろうとする努力を惜しまないといけないのだが。
さて、この作戦の名前は「オペレーション・ムシュタラク」。ムシュタラクとはダリー語で「一緒に」という意味だという。せめて平和の式典の開会式の日くらい、世界中「一緒に」平和を楽しめばいいのに、と僕は思った。オリンピック・ムシュタラク。
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2010年01月22日

【コラム】たばこについて(かきとちゅう)

DSC_1530.jpg

@自分がたばこをはじめたきっかけ
先輩に勧められたから。そして親友が、吸っていたから、そいつと一緒んいるときは吸っていた。ただしそこからどんどんはじめて行ったのはなぜだろう。

(1)かっこつけ
たばこ=おとな、かっこよい という潜在的なイメージの具現化。ちょっと先を行っているんだぜ、という粋がった考え。

(2)反抗心
親だとか、社会だとか、そういうのに対するレジスタンス的な精神。ヤンキーが社会へ刃向かって暴走するのと同じ。未成年なのに法を犯して吸っちゃってるぜ!っていうそれだけのため。

(3)あこがれ
ヘミングウェイとか、村上春樹の小説の主人公はみんなたばこをかっこよく吸っている。あとは映画も影響が大きいと思う。いろんな映画の要所要所でたばこはクールで、かつ妖しい、きれいさを放っていた。コーヒーアンドシガレッツって映画の力も大きいかもね。
とにかく、そんな類の小説や映画が好きだった自分は、たばこにあこがれた。


Aたばこを吸ってよかったところ
(1)静止した時間の確保

(2)時間と空間に対する自分の固定

(3)ある種のアイデンティティの確立

(4)マイノリティとしての視点の確保

(5)マイノリティ・コミュニティ

Bたばこを吸ってだめだたったところ
(1)ニコチン依存,たばこ依存
結局理論付けしながらたばこに頼ってる、ニコチン依存が発生してしまっている。抜けだせないかも。やれやれ。かっこつけも継続なのかな?ここはよくわからない。たばこを吸っている自分に酔っている部分があるのかもしれない。やれやれ。

(2)におい

(3)おかね



C愛煙家の言葉や一般論、確立した持論
筑紫哲也「たばこは必要悪」
チェ・ゲバラ「たばこはゲリラ戦士にとって、心の拠り所」

奥田民生 たばこのみ「誰がなんといおうとも、たばこを愛してる。それはもうナイスな友達さ。邪魔しないでほしいな、わずかの安らぎを。最近の唯一の楽しみさ。(中略)少しくらい脱ヘルシー。人間だもの、まじめばかりでもつまらないもの。近頃の世の中に、逆らおうと言いました。」
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND38297/index.html

チャットモンチー 染まるよ「あなたの好きなたばこ。あたしより好きなたばこ。」
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND70868/index.html

一般論「コーヒーとたばこの合い方は異常」
一般論U「酒、特にウイスキーとたばこの合い方は異常」

持論「スノボー時に吸う雪山でのたばこ(メンソール)の良さは異常」

Dいつかやめるのか
(1)本当に好きな人ができて、その人がやめてといったらやめるだろう
(2)子どもができたらやめるだろう
(3)病気になったらやめるだろう
(4)ただし上記の背反時、たばこが1000円になってもやめないだろう
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2010年01月07日

【日記】ろすと

DSC_0369_2.jpg

自分見失った!

自分の中がごちゃごちゃしだした。

将来的な意味では逆に見失うどころか
定まってきた一方で、
今を生きる自分を見失ったわけだ。

どこにいるかよくわからないし
何を考えているかわからないし
今何を目的にしているのかわからない。

一人がヤダってことだけはわかる。
寂しくて何かに頼りたがってるのもわかる。

でも何をしようとしてるかわからなくて怖いし
どこに行こうとしてるかもよくわかんない。

うーむ。
モチベもあがらないわー。

気晴らししたい。
スノボー行きたい。パウダーめっさ食って温泉入りたい。
旅行にも行きたい。東南アジアとかインドとかで、
スローでメローに過ごしたい。

やれやれ。

ちっちゃいやつだ。
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2010年01月05日

【日記】ウイスキー

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ウイスキーがおいしい。

最近やっとウイスキーもわかるようになってきた。

高いウイスキーは美味しい。
サントリーのなんか変なのとかは本当おいしくない。


ラガブーリンっていうアイラー島のウイスキーは癖があっておいしい。
アイラー島っていうのはスコットランドにあるウイスキーの名産地。
一度行ってみたい。

ラガブーリンはすごい消毒薬みたいな味がする。
歯医者さんの匂い。でも飲み心地はいい。


俺が一番好きなのはいまのところマッカランだなあ。

マッカランは飲むと、舌に乗っかる感じがして、
コクがあるとはまた違うけど、重たくて、おいしい。
重厚感があるっていうのか、ワインで言うボルドーっていうの?
知らないけど。なんか滑らかなのに残るんだよなあ。
言いづらい。飲めばわかるさ。


で、いまは山崎の12年を飲んでる。

これは去年亡くなったおじさんの形見みたいなもん。
おじさんは山崎の12年がめっちゃ好きだったらしくて、
納骨のときにお酒をお墓にかけた。
その残りを、親父にもらった。それで飲んでる。
だからこれを飲むときはしんみりしたい時。

この間新年会で竹鶴っていう国産のおいしいやつを飲ませてもらった。
ロックだったけど、おいしかった。

親父にショットバーにつれて行ってもらったときに
ウイスキーはショットで飲めと言われた。

ロックとか、ハイボールとか、邪道だと。

タバコも吸い残しは長めにしろと親父に言われた。
ギリギリまで吸うのはカッコ悪いぞと笑われた。

そういう親父がかっこよかった。純粋に。

*

なんでウイスキー飲むのって、完全に村上春樹の小説に流されただけ。
カッコつけです。

村上春樹の1973年のピンボールが一番好きなんだけど
それに流されてレコードを買って
スタン・ゲッツとビル・エヴァンスのレコードを揃えて
高校時代最後の方めっちゃ聞いてたことがあった。

それと一緒で、ウイスキーも飲み始めたわけ。
1973年のピンボールの主人公「ぼく」が
ウイスキーを飲んでいる姿がやけにカッコ良かったからだ。

結局流されやすい。自分は。

自分が無いのか?

まあいいか。そうやって色々流されて
行きつくところにつけば自分が成り立っていく。

俺は基本的に吸収型の人間。
吸収しまくって、それを自分なりに解釈してまとめて、
自分流にするタイプ。

いろんなところから吸収すると
自分からアウトプットできるものも増えるし。

*

親父に教わってからよく仲のいいやつと二人でいくバーがある。
TIMELESSっていう名前なんだけど、名前がいいよなあ。
TIME-LESSって、なんか時間を忘れさせるって、お酒の良さだよね。

かっこつけかもしれないけど
そういうところでおいしいお酒を飲む時間が幸せだし、
純粋にまったり落ちつけるから、なんでもいいや。

そういえばアイラー島も村上春樹のエッセイで覚えた。
だからバーに行った時、アイラー島の何かを飲みたいです、といって
ラガブーリンを飲んだんだった。

自分が無いのかなあ?

まあいいや。おいしいし。


満足できればそれでいいのだ。

*

こうやってブログに書くこともカッコつけ??
誰に??なんで??


まあいいや。眠たいし。

ぐっない!!
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2010年01月04日

【小説】カトマンズの夜

9月の最初のころ、ぼくはネパールの首都、カトマンズにいた。 その日はネパールで過ごす最後の日だった。ぼくはひとりで、街の中心部の旧市街をぶらぶら歩いていた。特に意味はなかった。最後だし、空気を存分に味わっておきたかった。

街の中心部は停電していた。ネパールではヒマラヤの雪解け水が発電の要だ。だから冬が近づくと発電量が少なくなって、安定供給ができなくなると聞いた。
ぼくは道の真ん中に生えている木の下に座って、タバコに火をつけた。薄暗い中で、多くの人たちが騒がしく道を行き来していた。観光客、客引き、野菜売り、サリーを来た女性、老人、サドゥー。映画を見ているようだった。オリエンタリズムだな、とぼくは思った。

一人の男が近づいてきて、「どこか行く?」と訛った英語でぼくに話しかけてきた。
「ストゥーパ、ヒンドゥの寺、チベット仏教寺院、どこでも連れて行くよ」
「今日が最終日だからいいよ」
ぼくは答えた。しかし、男はあきらめず続けた。
「ハッパ?オンナ?なんでもあるよ」
「いらない」
「じゃあタバコ、ちょうだい」

ぼくはタバコをあげた。ネパールのタバコは何か、ネパールの味がする。客引きの男とは特に何も会話はなかった。通りは相変わらずざわざわとしていた。すぐにまた一人、男が近づいてきた。客引きが多いのにはうんざりだなと僕は思った。もう一人の男は近づいてきて、タバコをちょうだいという仕草をした。ぼくはタバコを渡し、火をつけてあげた。なんだかぼくが煮え切らない気持ちでいると、男は訛った英語で言った。
「日本人かい?」

*

「この木には、ヒンドゥー教の神様が宿っている。だから切られないで、こんなところに生えているんだ」

ぼくにそう教えてくれた彼は、客引きではなかった。純粋に、ただ話をしようと、僕のところに来たらしい。岩しか無いヒマラヤのふもとにある貧乏な村で生まれて、若い時にカトマンズにやってきた彼は、僕の父親と同じ年齢だった。ホテルのレセプションやガイドなんかを経て、カトマンズで生計を立てているのだと言う。

「政治は難しすぎて、よくわからないんだよなあ。でも、議会のやつらは腐敗している。海外からの援助を、全部ポケットにいれてしまうんだから」

彼はタバコをふかしながら、不満げにそう言っていた。ネパールは去年民主化し、やっと選挙も始まった。しかし彼は、読み書きができないから選挙に参加できないという。
アジアで最貧国のネパールでは、まだまだ政府は未熟でうまく機能していない。情勢も不安定だし、諸外国の援助に頼りっきりになってしまっている。課題は山積みなのだ。日本はネパールへ、多くの支援をしている。「JICAは素晴らしいよ、大きな橋や、ちゃんとした道路を沢山整備してくれる」と、彼は言ってくれた。

「やっぱり援助は、大切だとおもう?」
「大切だよそれは。だからこそ、日本ももっと援助をしてほしい。テレビで見たよ。日本の首都はすごいじゃないか。こんな木じゃなくて、もっと高い建物が沢山ある。日本人は頭がいいんだな。俺達とは違って、頭がいい」
それを聞いたぼくは少し恥ずかしくなった。日本はそんなに素晴らしい国じゃないと思うからだ。

「そんなことはないよ。ぼくなんて、本当に自分はばかだとおもう」

*

いつの間にか、最初にぼくに話しかけた客引きはいなくなっていた。「タバコ、もう一本吸う?」と僕がタバコを渡したら、彼は「いまは吸わないで、後で吸うよ。大事にする。ありがとう」と言いながら、胸のポケットにタバコを入れた。折れないかな、とぼくは不安になった。

「家族はいるの?」
ぼくは聞いた。
「妻がいる。娘も2人いる。長女はこの間結婚して、孫ができたんだ。」
「孫かあ。じゃあ、おじいちゃんなんだ」
「そう、もう体もボロボロだしなあ。老眼だし、太ってきたし、何歳まで生きるかわからない」
「そんなことない、元気そうだよ。俺の親父と同じ年齢なのに。孫ができるって嬉しいね。いま、幸せでしょ?」
「そうだね、幸せだよ」
彼は満面の笑みで頷き、そして続けた。

「俺は、小さい幸せがあれば、それだけで充分なんだ。たくさんお金があっても、何に使えばいいかわからないだろ?」

そう言う彼の眼は、本当に幸せそうで、優しい眼だった。ぼくはゆっくり、彼に笑い返した。彼はおやすみと僕に言った。ぼくも彼に、おやすみと言った。

*

帰り道はやっぱり、色々な人でごった返していた。本当に映画見ているようだなあと、僕は思った。歩きながら、さっき彼と並んで撮った写真を見た。なんだかぼくは少し嬉しくなった。そうか、小さな幸せがあれば、それだけでいいんだ。
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2009年10月07日

大麻はなぜいけないの?(mixiより)

問:大麻はなんでいけないのか、論理的に答えれる人だけ答えてください。ただし、次の事実を踏まえたうえでよろ。なお、「法律で駄目って言われてるから駄目」はただの循環論法だし、論理的ではありません。
「お母さんにテレビ見ちゃダメって言われてるから駄目なの」と言ってるちっちゃい子と一緒です。

あ、タバコに対する極度の嫌煙家にもぜひ考えてもらいたい問題です。近いものがあります。タバコのことでもいいから書いてちょ。


ちなみに大麻を吸おうよ!とか、合法化運動してえ!とかそういう意味の日記じゃなくて、少しでもみんなに多角的な視点を持ってもらおうと思い書きます。僕自身はちなみに違法なところで大麻を吸ったことはありません。そういう話をしたいわけじゃないです。

ぜひ最後まできっちり読んでください。バイアスとかそういう話。


参考文献は「大麻ヒステリー 思考停止になる日本人 武田邦彦著 2009年 光文社新書」


★事実

@世界保健機関(WHO)の調査による比較結果(1963年報告)
(1)大麻の精神的依存性はアルコール、タバコよりも少ない
(2)タバコおよび大麻の身体的依存性はない

Aアメリカ国立薬物乱用研究所による比較(1994年)
(1)大麻の依存性=1 カフェイン=2 アルコール=3 ニコチン=6
(2)大麻の禁断性=1 カフェイン=2 アルコール=6 ニコチン=4
(3)大麻の切望感=2 カフェイン=1 アルコール=4 ニコチン=3
(4)大麻の陶酔性=3 カフェイン=1 アルコール=6 ニコチン=2

BWHOの調査結果(1970年報告)
・大麻がきっかけになって、ヘロインなどの麻薬につながることはない


これはれっきとした事実です。んなのうそだろとか言って論破しようとする人は資料を自分で探して読んでください。


★事実ではないが事実だろうと想定されるもの

@各国で2000年前から大麻が栽培されているにも関わらず、嗜好品となることはほとんどなかったことから言えるのは、"嗜好品として"の機能性がアルコールやニコチン、カフェインに比べて少なかったためではないか

A禁止されているものゆえに、手を出したい人間が増える。暴力団など
が資金源にしている可能性がある

Bアルコールは世界人類のほとんどが手を出す嗜好品である。毒性は大麻やニコチンよりも強いが、多数が簡単に得る"麻薬"であるがゆえに禁止はしないのではないだろうか。


★余談

@余談だけど、タバコの副流煙の毒性データは副流煙が出た瞬間に計測してます。次の瞬間300倍くらいに膨らみます。気体は拡散します。もちろん吸う本人には害はあるけど、それはまあアルコールも一緒ですよね。周りの人に害がない!と言っているわけではありません。あしからず。

AWHOとかそういうとこでは、アルコールやニコチン、カフェインも麻薬として分類されてます。みんな麻薬だって認識持ってないのは「みんながやるからそれでいい」ってことだよね。みんな麻薬常用者なんだぜ。

Bいまのところ、俺が「タバコを吸いながら運転しても事故はしないけど、お酒を飲んで運転したら人を殺す可能性がある。お酒は酩酊状態になり、犯罪を助長することはみんな充分認識してる。でもお酒は悪くなくて、タバコは悪いのはなんで?」っていう命題にも論理的に答えてくれた人はいません。お酒は肝臓を悪くします。ガンにもつながります。なんで駄目じゃないの?分酒とかそういうのないの?

Bに関しては俺のぼやき。結局酒は多数派だからやめさせれないってのはアメリカの禁酒法が証明してるよね。毒性が一番強いお酒OKでタバコなど他駄目っていうのは本当マイノリティを優先した考えだと思う。俺が喫煙者だからだけど。俺はちなみにどっちも好き。


さてさて

結局俺がこの日記で何が言いたいのかって、結局俺らは小さい頃とかから植えつけられたバイアス。マスコミ、政府などのバイアスに完全に縛られているんだよなあってこと。「大麻=やばい」っていうのは植えつけられてきた習慣性のバイアスなんですよね。お酒、タバコの方がよっぽどやばいのに。歴史がそれを証明してる。

でもみんなはそれに気づけない。俺も最近まで気付かなかった。それが怖い。結局上からのバイアスに応じる家畜みたいになってる。

大麻に関してじゃなく、いろんな世の中のことに対して。上からのバイアスがどれだけ身にしみついてるのか。そしてもう少し多角的に世の中を見る必要があるんだよなあってことを、みんなにも気付いてもらいたいです。


あ、これは俺のぼやきだけど
大麻は駄目って言われてるから最悪な麻薬で、吸ったやつは死ねとか、タバコの副流煙はまじ体に悪いからタバコ廃絶しろっていってる人たちは、すごい多角的に物事を見れていないんじゃないでしょうか。

タバコに特化して言えば、まあ俺が喫煙者だから言えることなんだけど、確かに害は少なくともあります。だからマナーは守る必要がある。当たり前のことですね。でも、余りにも一辺倒に「害があるからやめろ」っていってくる人は多角的に見れてないと思う。

だってそうでしょ?一個のソースから与えられた情報をもとにそういう意見を言っていることになる。


もっと多角的に。バイアスを取り払って物事を見て行こうよ。


ちなみにどんな嗜好品にせよ節度を持つべき、っていう温和な意見はよくもらいます。その通りだと俺も思います。そうするとお酒もたばこも大麻もやめさせる必要があるとは思えません。俺の意見はそういうもの。全部いいとおもう。個人の問題だよね。

そう。タバコはマナーを持って吸いましょう。嫌がる人の前で煙をもくもくさせるのはやめましょう。お互い様なんだし。



さて、ここまで来た上で、大麻もなんで禁止されているのか論理的に考えてください。タバコよりも、お酒よりも害が無い嗜好品なのになんでだろうか。どうやらオリエンタリズムとかが見え隠れしているらしいけど、むずかしいね。


誰か答えれる人、論理的になぜ禁止か答えてほしいです。
論理的に反論できるものがあれば反論します!!タバコ、酒に関しても可。どしどし募集中。




※俺はこの日記を書く上で、双方の意見を結構比較してみました。タバコに関しても結構日常的に調べてます。そこそこ多角的に判断したうえで出た疑問とみんなへ知らせたかった気持ちで書きました。決して違法のなか大麻吸おうぜとかそういう気持ちで書いたものではないので。
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2009年10月01日

ゆーすこんてすと

DSC_1727.jpg


日本ドキュメンタリー写真・ユースコンテスト、っていうのに応募してみた。


うえの写真を含む14枚。


どうだろう。


あまり自信はない。

でも、挑戦はしてみたい。


写真の質自体には、少し自信がある。


でもドキュメンタリー写真の定義がわかんないから


なんともいえなさすぎる。


だから、あまり自信がない。


*



今日は赤レンガ倉庫で写真展をやることになり
それの初日だった。

自分の写真じゃないよ、子どもたちの写真。

赤レンガで、DAYS JAPANとやるというすごさに
いまだに実感がなさすぎる自分。


なんでここまでこのイベントは
実感がわかないのだろう。

すごすぎるからなのか。


はたしてすごすぎるのだろうか。


何をやろうとしているのだろうか。


見失っていないか。


大丈夫だよね、と言い聞かせるが



あまり自信はない。
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2009年09月25日

ぼくの、夏休み

DSC_1645_2.jpg



ネパールの空きれいだったなー

20歳の夏休みおわり


めんどうくさいから箇条書き


夏休みとしてはものすごく充実していて、忙しい夏休みでした。
得たものも大きい。

友達とより仲良くなることができた。
とくに限られた数人と。
後輩とも仲良くなった。

そして新しい経験をたくさんした。
ネパールに行く、陸路国境、タイで電車乗るとか、日食見るとかね。

カンボジアのプロジェクトも終わらせたし、カンボジアで写真展もできた。


人が死んだ夏休みでもあった。
今日納骨だった。真っ白だった。太い骨だった。



充実していた一方で、映画が見れなかった。

映画、今年見れてないなあ。
やつを誘って見に行くか。


あと、癒しが足りなかったなーとは思う。
ブログ書く時間もなかったような感じ。

怒涛のごとく、いそがしかった。
でも、怒涛のごとく、たのしかった。


長い長い夏休みでした。

この様々な得たものを、これから昇華させて

来年の夏には形にできていたら、うれしい。



◎夏休みしたことリスト
・箱根温泉
・日食をみに岡山まで徹夜ドライブ
・神奈川の奥地で2泊3日キャンプ
・軽井沢家族旅行
・精密検査
・水上温泉へ車旅
・ネパールとタイとカンボジア
・飲み、泊り、サークル会議、合宿
・お通夜、告別式

◎夏休みに読んだ本リスト
・フォトリテラシー
・限りなく透明に近いブルー
・ダンスダンスダンス
・戦場の画家
・コインロッカーベイビーズ
・すばらしい新世界
・もしも僕の言葉がウイスキーであったなら
・カンガルー日和

◎夏休みに見た映画リスト
レッドクリフ 2
ブロークンイングリッシュ
蛇にピアス
イエスマン
蟻地獄のような街
ココ・アヴァン・シャネル
プラスチック・シティ
ONE DAY IN EUROPE
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2009年09月23日

死ぬって何?

CSC_2009.JPG


ネパールのパシュパティナート。
ガンジス河の支流の上流にあるガート。
ヒンドゥー教徒が沐浴したりするとこ。

見に行った時ちょうどお葬式をしてた。

ネパールのヒンドゥー教徒は野焼きをして
ガンジス川に遺灰を流すことで輪廻転生するみたい。

すごい幻想的な空間。

人だったものが目の前で、燃えてる。

ちょっとお金持ちのお母さんが亡くなったみたいで
息子が号泣しながら、火をつけていました。


人の燃える火は人を引き付ける力がある気がする。
すごいなんというか、
そこらの木よりはるかに中身の濃い物体なわけだから

それはきれいな火になるよね。

何十年かの結晶物が燃えるんだから
きらきらしててもおかしくないんだろうね。

なんかぼーっと、見てしまう火でした。


帰り際そのもうもうとした煙を吸い込んで
なんかその人の人生盗んだ気分になった。
馬鹿だな。



俺のおじさんも土曜日夜に亡くなった。
明日お通夜。明後日告別式。


人が死ぬってなんだろうね。よくわからん。
宗教もよくわからん。
死へのアプローチの近道なのだろうか。

俺死んだらどうしよう。
輪廻とか、ちょっとは信じてるけど、
「ガンジスの川に投げられるから安心」みたいな確約がないしね。


なんかぽっかりした気持ちだ。


先進国の映画では人がたくさん死ぬ。
途上国の映画ではあまり死なない。

先進国は死が身近にないから
仮想的な死を味わおうとするらしい。


死にカタログって本に出てた。


死って身近じゃないし
宗教もないからほんと何なのかわからなさすぎる。

ただいなくなるだけだよね。

それこそぽっかりした気持ちをみんなに残すだけだよね。



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